サムライ8八丸伝 感想・考察ブログ!

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サムライ8八丸伝 第18話 ご利用は計画的に 感想

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一石二鳥 オレも祭出てみていースか? 師匠


「お前は・・誰だ?」「は・・八丸くんだよ」 ・・・先週のセリフをここに持ってきたい気分。 いや、八丸のイケメン化が止まらないですな; 

 

目のカタチも違うし(下側の線が今までほぼ直線だった) もはや誰レベル。 ま、この1コマだけ特別なんだろうとは思うんだけど・・ 

 

ただし、カッコよくなったと単純に喜べる感じではない。 猫師匠は「やっとらしくなってきたな」とご満悦だが、私としては「らしくなくなってきてしまった」。    「あの日に見た立派な鍵侍らしくなってきた」のかもしれないけれど、「八丸らしい」かというと、ちょっとなぁ・・  違和感というか  戸惑ってしまった。

 

それと、戸惑いの原因は 真顔での「いースか」という口調・・・・これも「誰」という感じがしないでもない。  今までだったらもっと明るく、「オレもその祭りってのに出たい! いいっすよね、師匠!」的なノリだった。 あるいは ここ数話の雰囲気だったら、笑顔で「オレもその祭に出てみていいですか?師匠!」だったかな・・八丸ってどういうキャラだっけと分からなくなってきました;まさに「誰」・・・

 

しかし、このキャラ不安定は、意図的なのかそうでないのか・・そこがまた分からない。もしかしたら意図的である可能性もある・・そうも思ったりで。

 

ここ数話、いきなり八丸の師匠に対する喋り方が丁寧になってますよね。  それは「自覚」が出てきたからなのかな?と考えていました。  今までは世間知らずで「父ちゃんと早太郎」以外のつながりがなかった八丸は、「師匠との付き合い方」「目上の人への言葉の使い方」は知らなかったわけで・・達磨にあんな話し方をしちゃってても仕方なかったんだと思います。  それが「ハガミチさんの話し方」を聞いたり、「アタに口の利き方が無礼」と叱られたりで 学んだのかもしれない。  人との出会い、関わりが八丸に変化を与え、学ばせていってるのかもしれない。

 

真っ白な八丸だからこそ、スポンジのように何でも吸収して、すぐに真似るとか影響を受ける・・可能性は十分にある。 

 

今回も、八丸の買い物がはじめてのおつかいレベルで「いかに世間知らずか」を思い知らされたわけだけど、そのぐらい八丸は「何も知らない」。  うっかりすればトンデモないことをしでかすし、影響も受けるし、良くも悪くも、ね。  そのぐらい、八丸はまだ「誰」状態なのかもしれない・・・    前回やたらと「誰?」という会話が出てきたのが気になっているのだけれど、それは・・ここにも繋がるのかと考えたりもしました。

 

 そもそも人間ってのは、人との関わりの中で「自分」を認識していくような気がします。繋がりの中で、自分はどう思われ、どういう役割を果たし、誰を大切にしているか・・等々の中で「自分を認識していく」んじゃないのかな? そうやって「自分」のカタチ、輪郭、「自分とは何か」が見えてくるんじゃないかと。

 

 だから、まだ狭い世界にいて ほんの少しのつながりしか無い八丸は、意外と「自分」を認識してないんじゃないか・・そんな気もしないではない。  そういう意図があって、八丸の口調が変わったり、服変えたりとかなら・・  そこに意味はあるのかもしれません。

 

 達磨が「オスかメスか」と聞かれて「漢だ」と答えていましたが、それも「ブレない自分」を持ってる・・って事なのかと思いました。外見はオスかメスか分かんないというか、ただの猫にしか見えませんが、あんな外見になっちゃっても達磨は自分が「あの達磨」である事を忘れてない。  見た目なんか関係なく自分が誰であるのか忘れてない・・そこに達磨の強さや本当のかっこよさがあると思うんですよね。

 

 前回、コツガがアンを見て 「女の子だから可愛い」とか、達磨を見て「ネコだから可愛い」とか言ってましたが、それはただ外見での判断という事・・ 見えないところにこそ、本物の価値はある・・そこに話は絡まっていくのでしょうか・・?  

 

達磨の「らしくなってきた」は、「本来の八丸」を見抜いたうえでの「やっと自分らしさを見つけてきた」という意味だったのかもしれないけど、普通はそうは思わないだろうし、八丸の変わり方に戸惑ってしまう読者もいるんじゃないだろうか(私は最初、かなり戸惑った)。。

 

そして、もし・・・もしですが、別にそういうわけでもなくて、「ただカッコよくする為」「主人公をカッコよくしないと支持されないから」「ついに掲載順下から3番目だから」という単純な緊急テコ入れで 八丸イケメン化にしてるのだとしたら・・これは喝かな(そう思いたくはないが)。      開始から20話近く・・評価はどうあれ、主人公の人物像ってもんがそろそろ読者に定着する頃。 主人公のイメージが変わっていくと、もはや物語のイメージも掴みづらくなってまいります。  もし作り手側の「焦り、迷い」なのだとしたら・・・それは読者に伝わってはいけないと思うし。

 

八丸、たしかにビジュアルはイケメンじゃなかったけれど、そもそも「ガリガリの爪楊枝でメガネキャラでのび太的な元引きこもりの少年が、夢を叶えていく」設定だった・・と思ってた。   そこは大切な譲れない根本設定だと思います。   弱々しかった子が、初めて見る世界に無邪気に感動する姿や、世間知らずで師匠にタメで話してしまうところとか、それは八丸らしい魅力でもあった。  「普通のカッコよさ」は・・・ちょっと違うかな、と。  難しいですけどね、この設定で惹きつけるってのは。

 

 毎週、1話の中に1つは「見得きり」のような絵があったほうがいい・・と私も思ってるのだけど、個人的には第15話で父ちゃんの墓前で「守る」と誓った背中、あれが一番良かった! 一番「八丸らしいカッコよさ」だったかな(あくまで個人の感想です)

 

ストーリーとしては、師匠の「シャーっ」が面白かった。  やはり達磨のキャラは良いなぁと私は思っております。  それと、コツガとリュウは鍵なのかと思ったけど、そういう訳じゃなかったのかな(コツガのほうは戦えないみたいだし)。。2人のやりとりは、たしかに微笑ましい。

 

・・という事で、今回は私も「これはどういうことなんだろう」と色々な意味で戸惑っておりますが、その「答え」はそのうち見えてくるだろう、と思っています。

 

次回もまた土曜日発売、ですね。

 

 

☆駄文読んでくださって感謝。

 

 (サムライ8八丸伝感想・考察ブログ! 2019/09/14)

 

 

 

 

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