サムライ8八丸伝 感想・考察ブログ!

週刊少年ジャンプ連載・サムライ8八丸伝の感想、考察ブログ。

サムライ8八丸伝第22話 アンと兄 感想

《ぐちゃぐちゃに絡まっててほどけない記億》

《ずっと絡まってた結び目を解こうとしてきた》

 

《でも分かってた》

《本当は私・・・》

《兄さんの事 忘れたくなんかなかったって!》

《八丸くんと出会って》

《繋げたままでいたかったんだって!!!》

 

さて、今回は「アン」のお話でしたが、アンもキリッといい表情になってきた・・・(ぽわ~んとしているのも可愛いんだけれど)

このところ、ストーリーが一本道だったから、ちょっと刺激とか「え?」な展開が欲しかったので、こういった「横道」は歓迎!    

 

・・そうか、アンも「孤児」だったんですね。

 

 アン「も」と言ったのは、岸本作品(ってNARUTOだけど)には「親がいない子供達」が多く登場したからなんですが、彼らに共通して言えるのは《自分の存在を認めて欲しがっている》ということ、そして《居場所を探していた》ということ・・だった。 ナルトがそうだったし、孤児だったカブトが《ボクは自分を認めず何者かも分からないでいた》けど、最後にやっと《ボクは他でもない――カブトなんだと》と気付いて終わる・・・これはまだ記憶に新しい。 カブトも最初は名前が無くって、「カブト」と名付けてもらって、やっと「自分と居場所」を得たような気がしてたんですよね。

 

 そして・・アンのお兄さんも「名無し」だったんですね。   というか、ここでは孤児は全員名前が無く「名無し」だったとはね・・     つまり、あの「ナナシ」も「孤児の一人だから名無し」という訳でしたか。

 ナナシは《ボクは他人から見えない透明人間》と言っていたけれど、それはなにもナナシだけじゃなくて・・・すべての名無しくん達に言えることだったんですね。

 

 名前が無いーーーーつまり「この世での存在を認められていない、存在が無いに等しい」。 だから《透明人間》。 

 

 人間ってのは、固有の名前で呼んでもらえて、周りから必要とされて・・そして誰かとつながることで やっと「自分」を認識出来るような気がするんです。 鏡に映った姿を見て認識するだけじゃなく、「他人の目から見た自分」を知る事で「自分=ボク」を認識できるような。 ボクってこういう名前で、こういう役割があって、周りからこう思われているんだ・・と知る事で、やっと《自分像》をイメージできる。 だから、それが無かったら「輪郭の無い透明人間」になっちゃって、自分が分からないんじゃないだろうか・・・?

 

  その中でも アンの兄さんは、名無しと呼ばれる中で《自分は七志》と名前を決めて、自分の存在を失わないように、自分が消えないように・・必死に生きていたんですね。 アンにもちゃんと「アン」という名前を付けてあげて。 ここまでは、微笑ましいいいエピソードだった。

 

 兄さんは、アンを守って「誰かに必要とされる存在」になりたかったんだと思うんですよね。  でも、アンを守れなければ「存在しないのと同じ」になってしまう・・それで焦っちゃったのかなぁ。 あまりにも悲しい・・残酷な結末だった。 

 (ああやってロッカーボールの前でいくつもの大切な命が失われたんだろうなぁと思うと・・・正直、あまりいいシステムとは言えないと思ってしまうんだけど)

 

「アン」の名前・・・達磨が言ってたみたいな、あんな難しい由来(阿吽)じゃあないのかもしれないけど、もしかしたら「話すのが苦手だったアン」の為に兄さんが「一番言いやすい名前」をつけてあげたんじゃないだろうか。 でも、アンは「自分の名前を言うのが一番苦手」だったんですよね。  

 自分の名前を言うことは「兄さん」を思い出すことになるし、「過去の自分=忘れようとしている自分」を認めることになってしまう。 だから言いにくい・・言いたくなかったのかな。

 

 そして、アンが大切な思い出を忘れて「違う自分に生まれ変わりたかった」のは、「過去の自分が不幸だったから」という以上に、兄さんを「自分のために苦労させて命を落とさてしまって、なのに自分は何も出来なかった」からだと思うんです。  その点は、八丸と同じですよね。 八丸も「自分のせいで父ちゃんに苦労させて、親孝行も出来なかった」と思ってた・・(「思ってた」=過去形)。

 

だけど、アンが《本当は兄さんの事忘れたくなんかなかった》《八丸くんと出会って 繋げたままでいたかったんだって》と気付いたのは・・・「この時」だったんじゃないかと思うんです。 それは第15話

 

八丸が、

 

《オレ・・今まで自分が不幸だと思ってたんだ・・ だからアンに嘘ついて隠したんだ・・ 昔の事・・》

 

《でも父ちゃんはそんなオレとの今までを “楽しい生涯だった”って言ってくれた》

 

《父ちゃんとの事を思い出せば思い出すほど オレもそうだったんだって気付いたんだ》

 

・・と言った時。 このとき、アンは「・・・!」はっとしてる。 

 

「兄さんと自分」もそうだったんだ・・いや、「本当は気付いていたことに気付いた」といいますか。 これでやっとアンは「兄さんとの日々、過去の自分」を受け入れることが出来たんですね。

 

 八丸と兄さんがつながって、そして八丸とアンもつながった・・  そして過去と現在もつながった。 だからアンは「あの時できなかったこと」をやろうとしている・・

  

 (アンの兄さんが最後に言った言葉は「これでアンを守れる・・完璧な侍に」だった) 

 兄さんは全部「1人で完璧に」やろうとしたんですね(何だか誰かさんを連想しちゃう)。 そうか、れでだったのか・・・

 

この前、八丸が「オレは完璧じゃない!でもーーー」と言った時、アンが力強く「だ・・だから私がいるんです!」と言ったのは。

 

 ふだんだったら「人の話を最後まで聞いて!」というアンが、なぜかあの時、八丸の言葉を途中で遮った。 そして「そんなの分かってます!」と言った・・・ 《でも》とか言わなくていい、完璧じゃなくていい・・・《だから私がいる!》と力強く答えてたんですね。 力強い「自分自身の肯定」。 これ以上ないほどの力強い「自分の存在意義の肯定」です。  アン自身が感じる「自分がこの世で必要とされている」実感・・・これがアンに強さを与えたんですねぇ。  あの時に出来なかったことを、今やろうとしている・・

 

 八丸がつないで、そしてアン自身がつないだ「兄さんとアン」・・そして「過去と現在」。 そしてアンが認めることが出来た、兄さんがくれた「アン」の名前と・・そしてアンが「ここに居る理由」。  これからは、もう「アン」と堂々と誇らしく自分の名前を言えるようになるんじゃないのかな・・?

 

 

☆ ナナシも、竜も「自分」が分からなかったけど、「名前」と「自分の存在」・・・これからも大切なテーマになっていきそうですね。 

 

☆アンが思い起こす兄の背中の「七」と八丸の背中の「八」。

「七」って漢字は本来「切る(骨を切る)」という意味。で「八」は「別れる」という意味。 どっちも繋がりを切っちゃうとか別れちゃうとか、あんまりいい意味じゃないんだけど・・その逆境の中でも「つなげる、つなげていく」・・そういうことでもあるのかな?

 

☆ 最近、アンの話し方が少しスムーズになってきてる気がするんだけれど・・・これからもっと上手く話せるようになるだろうか。 心の中の声は、スムーズだったし・・。


☆アンの祈りの力が凄まじい。 達磨が目をカッと見開いて《正解だ!》と言ったり、相手の侍に(これほどの強い「繋がり」があるのは長年に渡る信頼が不可欠)と驚かれたり。  八丸もアンも、凄い成長スピード・・・ ま、いずれ「銀河最強の侍と姫」になるなら このぐらいグイグイいかないと間に合わないかな・・・

 

☆「つながり」とか「名前」とか・・「完璧じゃないから誰かが助けてくれる」とか、凄く岸本先生っぽい。61~62巻のカブト(イタチのイザナミ)とかなり重なる・・・ やっぱり岸本先生が伝えたいメッセージなんだろうと思うけど・・もっと「まったく新しい視点の」新鮮な何かも欲しいなぁとか(という願望);

  

 ☆次は21日発売。時間があるので、スルメすることにします・・!(サムライ8をスルメするのかNARUTOでスルメするのか未定ですが)

 

☆駄文、読んでくださって感謝。

 

☆現在、台風の中におります;どうか、皆さんご無事でありますように・・!

 

 

(サムライ8八丸伝第22話 アンと兄 感想・・・サムライ8八丸伝感想・考察ブログ!  2019/10/12)

 

 

 

 

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