サムライ8八丸伝第35話「侘び寂び」(今週のジャンプ感想)
「不動明王」・・・いきなり御本尊登場??
しかし、その正体は「別宇宙から来た情報集積体」だとか「h粒子と引き合う力」とか「宇宙そのもの」とか・・・ますます分からん!(笑) 生命の源泉みたいなものなのかなぁ・・(なんとなく六道仙人登場の場面を思い出してしまった)
正直言って、1回目読み終わっての感想は(はぁ・・・)だった。 だって「侘び寂び」とか、出たよ《必殺・岸本明王説法!》って・・ サーーーーーーっと流し読みしちゃいました;
でも、気を取り直して読み直した2回目は「意外と言いたいことはシンプル」じゃないかと思った。 言ってることは「だいたいこんな感じ」かな・・と(きわめてアバウトだけど)。
- 完璧じゃなくていい(そもそもカンペキ、完全なんてものはない)
- 不完全なものの「美」
- この世界に「絶対」はない(見方が変えれば変わる)
- 「自分とは何か」ということも「自分はこうだ」と思っていればそうなんだってこと
- 大切なものはどこか「特別なところ」にあるわけではなく、意外と身近なところにあって「ただ気付いていないだけ、見ようとしてないだけ」だったりする
- 全ては自然の中の一部なんだし
・・ってな感じ?
そして、これらこそ《不完全なものに美を見出す侘び寂びの世界》に通じるものがあるんだろうか。
タイトルでもある不動明王の美学《侘び寂び》・・・
最近、関東住まいの自分んとこでは JR東海の「そうだ京都行こう」のCMで、こういうナレーションが流れるんです・・《侘びとか寂びとか いくら検索しても分からないことの一つでした》って。 で、(そうなんだよなぁ~この年齢になっても“侘び寂び”はちっとも分からない)って思ってたんです。
そういえば中学生の時、修学旅行で龍安寺の石庭見て、「これが侘び寂びです」って説明されて・・しばらくぼーーーっと眺めて「分かろうと頑張った」んだけど、全然分からなかった(笑)
あの当時は自分もちょうど「ジャンプのターゲット層世代」だったわけで、「侘び寂び」とかの“難解な大人な言葉”にすっごく憧れてたんです。 で・・頑張って背伸びして分かろうとしてた(分からなかったけど)・・・あの気持ちを新鮮に思い出してました。 大人になった今は、「そんなの分かるわけない」と諦めちゃってたんですがね;
「この世のどこにも完璧なものなどない どんなものも崩れ歪んでいる」
「崩れや歪みから重さや引力が生まれ あらゆるものを結びつけている」
「それこそが“美しい”本来あるべき姿なのだ お前やアンもそのあらゆるものの一つだ」
(不動明王)
う~~~ん、深いお言葉。
《完璧に綺麗にされたピカピカなもの》よりも、《不完全で崩れたり歪んでいるもの》の中に在る「美」・・
不完全なものは、確かに互いに補おうとする。 それに不完全だからこそ、想像力をかきたて、無限の可能性も感じさせてくれる。 確かに、すべてのものは見方を変えれば美しいし、大切なモノも「特別などこか」にある訳ではなくって《身近にあるけど気付いてないだけ》かもしれない。。
八丸は、前は「不幸で不運だった」と思っていた過去も、今では「幸せで楽しかった過去」と思えるようになった。 だけど「見方、発想の仕方」を変えるのって、意外と難しいんですよね;その為には、今持っている「当たり前」と思ってる常識やら決めつけ、思い込みを取っ払わなくてはいけない・・・(なんだか25巻や42巻のイタチのセリフを思い出しちゃう)
で・・不動明王、こんないいこと言ってるんですよね。
んーーーー「パンドラの箱」や「マンダラの箱」ってのも、いわゆる「箱」じゃあないのかもしれませんね。
たとえば、不動明王が言ってる《魚が水の中にいる自覚がないのと似ている》とか《宇宙には多次元や無限が存在するが 観測側レベルがそれを“見る”レベルに達していなければ 認識できない》《本質もまた観測者が見るレベルになければ認識できない》って話・・ これも要するに「見方、捉え方を変えないと分からないよ」というヒントでしょうか。
この言葉で、むか~し自分が子供だった頃の「ある疑問」を思い出しました。それは「宇宙の果てはどうなってるの? 宇宙って無限っていうけど無限ってありえないし、宇宙の端っこや外側って何があるんだ?」という疑問だったんですが、自分の父親はこう答えたんですよね、「アリにとって《ココは地球の一部で地球は丸い星で宇宙の中の星の一つ》なんてことは想像も出来ないこと。それと同じで人間の発想の方法では答えは出ない」んだって;何だか ごまかされた気もしたけど、妙に納得もしたのでした。
もちろんアリだって「意外と賢くて全てご存知」かもしれないんだけど(笑)、そのぐらい人間の感覚では思いつかないところに答えがあるんだろうと・・ね。
不動明王は「違う宇宙から来た」とか言ってたけど、もはや八丸たちにとって「違う宇宙」とかも「想像、認識できない世界」。 なんだかな・・・人間が作ったゲームの中にいる「ゲームのキャラ」は、外の世界を想像も出来ないだろうけれど、八丸達サムライの世界もそんな感じなのかな・・とかね。
それと、不動明王の《お前(達磨)を人と見るか 猫と見るか お前の両面を知っていれば どう見ようとするかはその人によるのだ》っていうセリフなんですがね・・・そもそも人間って、他人に「どう見えているか」「どう思われているか」で自分を認識するような気がしていたんですよね。 だから、他人からの評価をやたら気にしたり、点数やら判定を気にしたりする。
でも他人から見た自分評ってのも色々だし、その都度変わるから「絶対」じゃあない。(前に八丸とアンが故郷の星のピンチを救った時、それまでアンの生け花を馬鹿にしていた人たちが「アンの生け花ってセンス良かったよね」とか言い出したことがあった)
《侍とは自分で決められること》という話があったけど、相対だらけの世界の中では 不完全でダメなところがいっぱいあっても、《絶対な自分》を受け入れて持っていないと、見失って迷子になってしまう。
達磨も、何かと「自分は猫じゃない」と主張している気がするけれど、それは「自分を見失わない為」なのか、それとも「自分でも不安になるから」なのかな・・? もしかしたら、長いこと生きて経験値も失敗も多い分・・・大人のほうが「思い込み」が強かったり、「自分」を受け入れられずにいるような気もしてきました。
今回の不動明王とのご対面でも、八丸と達磨じゃ「同じ反応」なのと「違う反応」なのがありましたよね。 同じだったのは、難解なこと言われて(はぁ・・・・)になっちゃったところ(これは微笑ましかった)。
そして違ったのは、最初の反応。 八丸は嬉しそうに「アナタのファンです!」だったけど、達磨は「こんなのはありえない!」「・・今まで一度もこんな事は・・」だった。
達磨の反応は「いかにも大人にありがち」。 今までの経験から可能性を判断して「ありえない」とか「今までこんな事(なかった)」になってしまう。 「想定外」に対して柔軟性がないというか・・・経験値を積んだ大人ほど「コレはこうであるハズ」という固定観念を外すのが苦手なんだと、思い知らされた;(こういう反応をする大人って多いと思うから)
それに、達磨が何とか理論的理屈的に理解しようとしていく中、八丸はホント素直にストレートに思った事や疑問をぶつけていくんですよね。「カーラについて答えられる?」とか「一体何歳なんですか?」って・・(これ私も知りたいと思った)・・質問もストレートな直球。
やっぱり、やたら経験値を積んだり「カリスマ」だったりする大人よりも、純粋な目を持った少年のほうが「そこに在る大切なモノや価値」が見えるんじゃないだろうか。 大人になればなるほど、無意識に完璧を求め、現状を受け入れられず、今ある「大切なモノ」は失わない限り気付かなかったりして・・・・・・・・・・
《箱は見えていた だが箱であると見ようとしなかった》
・・・この言葉がずっしり響く。
だけど、だからって「大人はやっぱりダメ」と切り捨ててはいないんですよね。 達磨だって「これから」なんだと・・ 大人に対してもちゃんと優しいメッセージがあるんです。
そしてですね・・今回の「ちょっと難解そうな説法、問答」の数々ですが・・
これ、うっかりすれば読者に《セリフばっかりでメンドくせ~》と思われてしまいそうで、(今の状況では)結構リスクが高かったような; でも、そんなの作者サイドは「承知のうえ」のはずで、ヒナタ風に言うなら《これは私の独りよがり・・ここに立っているのは私の意志》的な、それでもあえて「これだけは伝えたい!」作者の想いの強さに今回は圧倒されたのであります。
ここまで繰り返される《完璧でなくてもいいんだよ》《今の自分でいいんだよ》《一人じゃない、まわりとの調和の中に自分がいる》《大切なものはきっと近くに在るんだよ、見方を変えてごらん》というメッセージ・・・・ 「こんなの書いたらまた順位下がっちゃうかも」とか「お説教臭いと思われるかも」というお節介な心配は、今回は致しません。 ここまでくるともう潔いというか・・・ひたすら作者の、強い強い熱いガイ先生並みに熱い想いを感じるのです。 思いの丈伝えたこのメッセージを、どう受け取るか何を感じるかは読者次第だし、それをアンケートで「判定」するのも読者にかかってます。 そして、そこで出された結果を判断するのは編集部(読者の評価あってのジャンプなんだからバッサリと決める時は決めて、忖度しないでいいと思う)・・・
そして、読者への最大のメッセージは、ラストのこれ・・
《お前の可能性も 宇宙の無限と等しく広がっている》
・・・まさに これなんだと思います。作者が一番、熱く伝えたかったのはコレなんだろうと。
「これから宇宙のような広大な海へ漕ぎ出す」八丸世代・・羨ましいぐらい可能性が広がってる世代への、熱い応援メッセージであり・・・
そして達磨のように「身近にあるモノの大切さ」を忘れかけていた大人達への、優しいメッセージでもあると思うのです。どっちも、生きてる限りまだまだ可能性は無限にあるんだと・・
その優しいメッセージに、やはり「サムライ8八丸伝がんばれ!」と応援したくなってしまうのです。
☆長駄文、読んでくださって感謝。
☆カーラが「弱そう(貧相?)な外見」なのは意外だった。
15話の「達磨のイメージ」中に出てきた時は、もっと不気味な感じだったのに・・ これも「不動明王がイメージするカーラ」と「達磨たちがイメージするカーラ」が違うって事なのかな・・
☆不動明王の「今の私は生きているとも死んでいるとも言えるパラドックスの中にありお前の見方次第で決まる」とか「そうとも言えるし そうでないとも言える」のセリフ・・NARUTO502話のトビの言葉「言うなら気まぐれであり計画でもあり・・戦争のためでもあり平和のためでもある」、あれもこんな意味だったんじゃないかと思ってます。立場、見方考え方によって変わるというか。
☆近いうちに、今回のテーマと関連するNARUTOの記事も書いてみようと思ってます(ナルト好きブログ!のほうで)
☆「侘び寂び」について、検索しても分かるもんじゃないけど・・今回のサムライ8を読むにあたって、コレはいい助けになったおススメ記事をご紹介します。すっごく分かりやすい(著者はLily Crossley-Baxterさんというイギリス人なんだけどね)
↓↓
(ちなみに元記事はこちら。原文で読みたい方は↓↓)
☆サムライ8八丸伝、サッと楽しく読める話と今回みたいな説法回とかランダムできますね。ま、メリハリがあっていいのかも。
参加中です。
サムライ8八丸伝第35話「侘び寂び」感想 2020/01/27
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