サムライ8八丸伝 感想・考察ブログ!

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サムライ8八丸伝 第3話「戦車入刀」感想 (ジャンプ26号)

第3話「戦車入刀」感想

 

「戦車入刀」って・・・そういう事だったのね(笑)   ケーキ型戦車に「2人で入刀」・・

 

「3匹の子豚」じゃあないけれど、オオカミ侍を警戒して「超硬度素材」で家を作った3匹の豚さん盗賊、まさか普通の刀でぶった斬られるとは・・まるで斬鉄剣。 八丸とナナシ、まだ外に出たばかりの二人なのに凄すぎる・・(修行とかしてないのに)。

 

そして「八丸」は、やはりただモノじゃあなさそうですねぇ・・

 

そもそも、父ちゃんとあまり似てないとか、歳の差がありそうだとか、母ちゃんの不在とか・・気になる要素はいっぱいある。 それに、父ちゃんの「八丸を何としてでも生かして守る」意志が半端ない。 

なんというか・・親の溺愛ぶりは、まるで「桃太郎のおじいさん」とか「かぐや姫のおじいさん」のようでもあったりして。 それが「親」としての愛情だとしても、義務感というか使命感が一層強いような・・

 八丸と父ちゃんの「親子の関係」や、八丸誕生の過程は訳アリのようですね。 

 

その父ちゃんも、「ただのちんけな盗人じゃない」とダルマが見抜いていましたけど・・(って、父ちゃん「盗人」扱い? ・・盗人というか、あの豚さん達もそうでしたが、この宇宙じゃあ「玉探し」や「侍魂探し」をしているトレジャーハンターが大勢いるのかな)、この父ちゃんも訳アリというか過去ありというか;もとは侍か武士だったのか、或いはそれに近い人物だったのか。 事情あって今では「八丸の親として八丸を育てる」事を使命としているような・・そんな感じにも見える。

 

そして八丸に関して気になったのが《引力》。 

 

「あれほどの引力を感じた子はいない」とダルマが言ってたけれど、八丸には「物理的にも心理的にも」引き寄せる力がありそう。

 

今週、ナナシが「必ず会いに行きます」 「今度はボクの方から」と言っていたり、先週は 早太郎が八丸を探して戻ってきて、八丸が「おお早太郎!お前の方から探して来てくれたのか⁉」と言っていた。 「相手のほうから」八丸のところに来る・・来させる、そんな「引力」。 ダルマも導かれるように八丸のところに来たらしいし・・

心を「惹きつける力」と・・導かれる者を「引き寄せる何らかの力」。 あの名刀高綱の侍魂とも適合出来ていた八丸ならではの、何か不思議な力があるんだろうなぁ・・・ 思わず「磁遁」を思い出してしまったけど;それに似た磁力的な力もあったりして。

 

そして今週の名無しくん・・いや「ナナシ」。

 

「男か女か」という事より「右手くんか左手さんか」という事で考えるべきでしたね;ナナシが出した3つめの答え、「自分自身で決める答え」は《自分は右手でも左手でもなく、自分》。 動けと命じられて動くわけでもなく、やめろと言われてやめるわけでもなく、自分から「こうしたい」という気持ちになる・・・

「八丸のことが気になる」という想いこそ、ナナシ自身の想い、ナナシ自身だった。 意外と早く、答えを見つけましたねぇ・・・ナナシ。

 

《八丸といつか、今度は一緒に戦車じゃなくて ケーキ入刀が夢・・だったり》

《いつかボクが本物の鍵侍となり迷いのない立派な元服名を持ったらその時は・・また説明します》

 

・・やっぱり心は乙女、ナナシくん。

 

でも「夢」・・目標が出来てよかったね。 そうやって自分から動くことで「自分」をしっかり感じていられる・・

 

《必ず会いに行きます 今度はボクの方から》

 

宇宙は広いし家から出るのとはわけが違うし、下手したら死ぬかもしれないのに・・

 

《それでもいいんです》

《何もしないよりは 自分がここに居る気がするから

 

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右手と左手を心臓の上あたりに重ねるナナシくん


ここ・・心、ってことかな。 右と左を重ねた「心」に・・自分の想いが心に居る。いい表情してるなぁ。

 

そして《ここに居る》という言葉。 「いる」じゃなくって「居る」を使うところが岸本先生っぽい・・(と私は思ってる)。

 

たとえば、皆から「消えてなくなれ!」と言われて闇に飲み込まれそうだったナルトに、クシナが伝えた「ここに居ていいのよ・・」。 これが「ここにいていいのよ」だと、なんか「一時的に滞在許可」みたいになっちゃう・・ でも「居ていい」だと、ここで生きてていい、ここでずーっと暮らしてていい、ここに存在してていいんだという重みと安心感がある。 オビトが言った「オレは地獄に居る」の場合だと、「その地域限定で地獄」って事じゃなくて「この世界=地獄」であって「その地獄の中に生きている」感があった。

 《居る》は、そこで生きて暮らして存在してる「自分」を感じさせる、StayじゃなくてLive inといいますか・・生を実感させ、そこで生きてる自分の存在をしっかり認める言葉になるような・・気がする。

 

・・・で、今使った「気がする」なのですが、ナナシも「気がする」って言ってますね、「ここに居る気がする」って。

 

 「~と思う」よりも軽めで、私の場合は「じゃないかと思う」程度の意味合いで フワっとさせたい時に使ってます 理由を説明できる時は「思う」を使って、理屈や屁理屈じゃ説明できないけど「なぜかそう思ってしまう」時に使ってる(たぶん)・・・いや、実際にはいい加減に使ってたかな;「気がする」って、ちょっと曖昧な感じがするし。

 

 でも、ナナシが言ってる「気がする」・・これはいいなぁと思った。

 

 「ここに居ると思うから」とか「ここに居るから」でもない「ここに居る気がする」。 これがいい。

そのフワっとした感触を、ナナシは愛おしく感じているように見えるんですよね。 優しく手を重ねて「感じている」もの・・・それこそ、その「気」じゃないのかな。

目には見えないけれど、確かに感じる「ここに居る」という感触、気配という「気」・・・

 

左手さんが言ってましたっけ、八丸を「他人にとられたみたいに感じてる? その気持ちは誤魔化せないみたいね」 「彼が気になるのね・・」と。 そしてもう1回、八丸の事が「気になってるんでしょ?」って。 その「気」って何だろうな・・

 

 思ってるとか考えてるとかとも違う、「気持ち」「気になる」・・・理屈とか屁理屈とかじゃ説明できない「なぜか不思議とそっちに引き寄せられる」ような想い。 触ることも見ることもできないけど、でも「確かに感じる」何か。

そして、その「気」というものも・・・引き寄せる引力として八丸は持っているのかもしれない。

 

 いわゆる「気」・・宇宙を構成する基本と考えられるという「気」。それは「魂」のようなものでもあるんだろうか。

 

やはり、大切なものは「目には見えない」・・・なのかな。

 

 

 

☆ ちなみに・・・「右手クンと左手さん」のことですが。

 

ナナシが訪れた「不動明王像」。 

不動明王が右手に持っているのが降魔の三鈷剣、左手に持つのが羂索(けんさく、けんじゃく》。

魔を退散させる剣と、衆生を煩悩から引き上げる縄のようなもの。さらに・・

 

不動明王の「右」に立つのが、八大童子の一人「制吒迦童子(せいたかどうじ)」。

不動明王の真の心を知らぬ衆生に「忿怒」の心で接するという・・厳しいんですね。 ようするに「右手くん」ですね。

☆そして不動明王の「左」に立つのが「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」。

 性格は小心者で従順、「慈悲」の心なのだそう・・・つまり「左手さん」ですね。(以上、ウィキおよび高野山霊宝館成田山深川不動堂ホームページの説明より)。 もしかしたらナナシはここから右手クンと左手さんの性格付けをしてたのかもしれない・・・

 

☆ナナシって髪の毛がボサボサモサモサで、今回の戦い方は斬りこむ「入刀」方式で、「牙」的な戦い方が似合う・・ この子も「オオカミ的」かも。 

☆ダルマ師匠も「流離の一匹狼」ですよね(犬侍でもありネコダルマでもありオオカミでもあり)

 

☆余談ですが、上のナナシの「何もしないよりは 自分がここに居る気がするから」の絵を見てたら、思い出してしまったNARUTOの中の絵があって・・・それがコレ、                
         

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「ここん中の誠を伝える大切なもんになる」・・・ NARUTO528話(コミックス56巻73頁)でのダルイですが、絵の構図やコマ割りもほぼ同じだから、思い出してしまった。 この時のダルイは「言葉は心を伝える大切なモノ」と言っていた・・ 

 

☆次回明かされる?八丸と父ちゃんの話が「気になる」・・・!

 

 

 

☆駄文、読んでくださって感謝。

 

 

(サムライ8八丸伝感想雑考ブログ!  2019/05/27)

 

 

 

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