サムライ8八丸伝 感想・考察ブログ!

週刊少年ジャンプ連載・サムライ8八丸伝の感想、考察ブログ。

サムライ8八丸伝第1話「1つめの鍵」感想 その2

犬派ですが、ネコも嫌いじゃありません・・・というか、犬はずっと飼っていたから顔見ただけで考えてることも分かる(つもり)なんだけど、ネコは飼ったことがないもんだから、接し方がよく分からない。 たぶん、ぎこちないんでしょうねぇ~・・逃げられちゃったり、シャーっと爪を立てられたり。 戸惑ってるのがバレバレらしい。 

 

・・・動物って、人間より「心眼」を持っているのかな?

 

さて、昨日はまず第一印象的「ざっくり」感想でしたが、やっぱり72頁ってのは長いですなぁ(NARUTOの第1話より長い!)・・・ 気になった個所を取り出していこうかと思ったけど、来週までに終わるかどうか;

 

なにせ「第1話ならではの膨大な情報量」を理解するだけでも難しく、やや諦め気味です(笑)  いや、焦らなくても大丈夫! これから少しずつ、侍システムのあれこれや、この世界の事・・バトルシステムなど出てくるはずだから。 そのうち自然と分かっていくだろう‥と楽観しております。なので、そのあたりの考察は、分かってきてからでもいいのかな、と。 他にも冒頭の「奴」って何だろうとか、星々の危機ってなんだろうとか気になるワードはいっぱいあるんだけども。

 

とはいえ「物語の節目の冒頭」に、これからの展開の鍵が置かれるのが岸本パターンですから、いくつかの「大切そうな言葉」は肝に銘じておかないと;

特に、冒頭から繰り返される《心眼》《大切なものは目に見えてはいない》《本質は逆に隠れている》。 これらは相当重要な“鍵”になりそうですよね。

達磨師匠のさらなる「師」(ちょっとカルイっぽい)の《枯れ落ちた葉より地中の奥の活力ある根を見る》とか《大切なものほど目に見えるところにはない まやかしによって隠れ本質を逆に見せる》のお言葉とか・・そのほかにも「オレと・・真逆だから だよ・・」とか「へりくつ父ちゃんも大キライなんだよォ‼‼」とか「お前は全部あべこべ」とか「ケンカする程仲がいい それこそ本質は逆に隠れている」とか、何度も「逆」が繰り返される。 目に見えるものはまやかし、逆かもしれず、「心眼」でしか真実、大切なものは見えない・・とね。

 

こういう言葉を聞くと、どうしてもイタチの「お前はどこまで見えている」とか「その現実は幻かもしれない」「人は皆 思い込みの中で生きている」を思いだしてしまうんだけど、このイタチの言葉については何度も読み返し、イタチは何を伝えたかったのか・・・とずっと考えて、いまも「よく分かってない」。いまだに問われ続けているような・・・相変わらず「お題」として心に残っています。 大切なものは目には見えていない・・・そういう事でもあったのかなぁと。写輪眼なんて目を手にしてしまうと、余計に惑わされることもあるのかなと・・ これと共通する(とも思われる)お題がサムライ8にも出て、ちょっと嬉しいような気もします。もっと岸本斉史先生には、このお題について掘り下げていっていただきたい・・・

 

そして「本質は逆」ということについても、NARUTOの終盤、分福と守鶴の話にこんなのがあった。

《人の心とは水鏡・・・本心とは裏腹に口を開き揺れ動くものです》
《その者の裏の心を受け入れた時 アナタも悟るでしょう》
(分福が「心」の裏文字と「受」と合わせると「愛」となり、我愛羅の額の「愛」とかさなる)・・  

「裏腹」についてのお話なんですが、これ、すごくいい話なんです。尾獣たちも「本当は受け入れられることを願っていた」というね・・ 本心とは裏腹、尾獣たちの真実も「心眼」でないと見えてこない。

ナルトは「相手の本心を引き出す」天才だったけど、さて八丸はどうだろう・・「相手の本心、真の姿を見抜く天才」になるのだろうか? 

 

 そのほかNARUTOでは柱間とマダラの「はらわたを見せる」話もあったし、半蔵VSミフネの話では「人に信念があるかどうかは外見からは判断がつかぬ」という話も出てきて、柱間にしても半蔵にしても、己の信念を貫き証明するためにクナイや刀を己の腹に向けた。半蔵はまさに「切腹」だった。

 

・・・で、サムライ8でいきなり「切腹」が出てきたのには、正直ちょっと戸惑った。「明るい感じ」やらカッコいい感じで始まるのかと読んでいたら・・・いきなりですか。たしかにサムライといったらハラキリかもしれないし、NARUTOでも出てきたわけだし、NARUTOはもっと残酷な場面もあったんだけど・・・ にしても、第1話から切腹とかいきなり主人公の八丸が自分の命をというのは、少年誌にしてはかなり過激じゃないかと; いい子は絶対真似しないでねと余計な心配をしてしまった。 もちろん、重要なのは「腹の内を見せる」「信念を見せる」ってことであって、侍になる目的の切腹ではダメで「大切なものを守るため」で「腹の中の勇」を見せることが肝心なんだともわかるけど、いきなり「死ぬ覚悟」かぁ・・と。重たい。けっこう重い。簡単にできる話ではない・・

 

それだけ八丸は(見た目とは裏腹に)意外にも大人以上に肝が据わってて、とんでもなく愛情が深く「信じる」想いも強いのだとは思ったが・・まさに「武士道とは死ぬことと見つけたりなのか。

 

ただし、達磨が「お前はいい侍になる可能性はある。だが、お前は侍には向いていない」と言っていた言葉が気になる。「勇」はあるが、だが、なぜ向いていないのか・・達磨の言葉の真意、これはもうちょっと先にならないと分からないかもしれない;

 

ちなみに「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」とは、江戸中期の書「葉隠」の中の一節。 自己を捨てたところに得られる判断こそ最良、ということらしい。 そして一緒に出てくる「義を見てせざるは勇なきなり」論語の有名な言葉でもありますが、うん、これは懐かしい・・! NARUTO第3巻でカカシが言ってるんですよね、「先代の言葉」として「これが忍の生き方」だと。 

 

にぎやかな八丸と、かわいい早太郎、愛嬌ある達磨、父ちゃんって感じの父ちゃん。 めでたくサムライになって、自由を手にした八丸。明るい感じで楽しいスタートでもあるけれど・・・あるんだけど・・側面にはかなり重いものがある。 かなり重たいスタートでもある。「侍の覚悟」ってのは、それだけ厳しく過酷なものだなと・・・ただ楽しいだけの冒険物語ではないな、と。(読む側にも覚悟がいるかも)

 

それにしても、そもそも達磨師匠は「こういう事態」をある程度予測していたとも思われるんですよね。このタイミングで八丸たちの前に現れたのも、父ちゃんと元侍が接触することも知っていて、元侍がここに来ることも承知で、八丸を「試した」・・?

偶然だったといえなくもないけど、偶然にしちゃうまく出来すぎな気が。達磨は、あの元侍を利用したのかな・・・

うん、達磨という人物(猫?)もなかなかですな・・

 

ちなみに、かのインドの僧「達磨」に弟子入りしようとした慧可は、自らの腕を切り落として意志を証明し、弟子入りを許されたという・・・ 今回のエピソードは、そのあたりもヒントになってそうですね。

腹をきったり、腕を落としたり・・まさに「肉を切らせて骨を切る」。脊髄とか肝とか腹とか腕とか・・・

 

色々出てきますな;

 

明日は、気になったセリフや気になった言葉の由来などをいくつか取り上げてみるつもり・・です。では・・

 

 

長駄文、読んでくださって感謝。

 

 

 

 

(サムライ8八丸伝 感想・雑考ブログ! 2019/5/14)

 

 

  

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